2泊3日東京美術合宿の旅⑦上野・東京国立博物館「長谷川等伯展」('10年2月25日Thu.)
メトロで上野に移動した私達を出迎えてくれたのは、非常に美しく咲いた上野公園入口の寒桜でした。
いくら温暖化とはいえ、この2月下旬にどうして桜が?・・・と、びっくりする人も多いようで、すぐ横の交番のおまわりさんは、ひっきりなしにやってくる「この桜はなんという桜ですか?」という質問に応えるのも、もう慣れっこといった感じでした。
非常に大々的に宣伝していて、各局で関連の美術番組も放送されたりしていたので、ご存知の方も多いのではないかと思います。
長谷川等伯という絵師は、よく知っているようであまり知らない・・・というか、恥ずかしながら、室町後期、桃山から江戸にかけての等伯とか宗達とか狩野派とか琳派とかいうあたりの日本画の系譜というものが、私にはあまりわかってなくて、お寺や美術館で美しい屏風絵などを見るたびに、すごいなぁ~、綺麗やなぁ~・・・と感心しつつ、それがどういう作家、どういう系派によるものかといったことには、あまり無関心だったように思います。
しかし今回、この長谷川等伯展を見て、その様々な系譜の中でも非常に重要な「等伯」という巨人の系譜を、まざまざと印象づけられて、本当に「勉強になった」といった、充実感がありました。
以前、神仏霊場の巡拝で京都の智積院に行った時、「国宝展示館」の中で等伯とその一門による屏風絵を見たことがあるのですが、その時は作品の痛みのせいもあるのか、綺麗だけれどそれほど衝撃的なインパクトは感じませんでした。
しかし今回、等伯の初期から晩年にかけての作風の変遷を、信じられないほどの多量の作品展示で追っていく中で、同じ屏風絵を見た時、その位置づけとか、どこがいかに秀逸なのかということが非常によくわかって、感動を新たにすることができました。
法華信徒として、北陸で仏画の作成からスタートした彼は、やがて自分の才能を試すべく京に出て、大工房に独占されていた絵の仕事になんとか食い込もうと、ヤマ師的なパフォーマンスを演じたりしつつ、ついには秀吉の庇護のもと、大きな仕事をこなす一代工房の主宰へと成り上がります。
しかし、家族の相次ぐ死や、権力者の交代などの環境変化は、逆に彼の「自分の描きたいもの」を描く意欲を強めます。
水墨に傾倒してった彼は、非常に見事な大作をいくつか描きます。
ただ、あくまで私の感想ではありますが、この時期の絵には、彼がそれまで積み上げてきた全てのもの・・・優しい仏画の技法、大胆かつゴージャズな襖絵の技法、そして繊細かつ緻密な屏風絵や山水の技法・・・そういったものが全て込められているのですが、しかし「込められて」はいても、「こなれていない」というか、それが一つの作風として一体化しきれていない印象でした。
しかしやがて、彼が一世を風靡した絢爛豪華な桃山は過去のものとなった頃、それでも研鑽と修行を続けた彼は、ついに彼の求める絵筆の表現の究極形態に辿り着きます。
それが今回の展覧会の最後の部屋に、最大の呼び物として展示されていた国宝「松林図屏風」なのです。
霧に煙る松林・・・音のない、音の吸い取られるような非常に奥行きのある静けさが、墨一色で見事に描ききられています。
そこには彼の人生の画業の全てがこめられており、しかもそのどれでもない、究極の表現が実現されています。
とても感動的で、数分、ただただみとれるばかりでした。
実は、入場時に音声ガイドを借りようと、並んでいる時、行列が長くのびて、一番最後の部屋のこの「松林図屏風」の前まで最後尾がきていたために、先にこの絵を見ていたのです。
でも最初に見た時の印象は、「何か、ぼわーっとした絵」という、なんとも情けないものでした。
ところが、彼の作品を初期から見て回ったその最後で見た時には、涙が出るほど感動的だったのには、我ながら驚きです。
絵は一枚見て感動的でなければ・・・という主張もわかるのですが、リアルタイムで絵を鑑賞していたかつての人たちは、それまでの等伯の作品を知った上で、今回はどんな絵なんだろう?と思って新作に注目したに違いありません。
一枚の絵にも、それに至る過去の歴史があり、それを含めてのその絵の良し悪し、という見方もまた現実的なんだろうと思うのです。
そういった意味で、今回の展覧会では、まさにタイムスリップして等伯と同じ時代を、駆け足で生きて、彼の生涯の作品を順次見て行きながら、その時々での画業の素晴らしさ・・・絵の感動を感じてゆくことができたという点で、本当に素晴らしく有意義な展覧会だったと、私は感じたのでした。
長谷川等伯を存分に堪能して、大満足で美術館を出ると、もう上野公園には夜のとばりがせまっていました。




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